学習における4つの成長段階

4月になると新しいことを学ぼうと思いませんか?

私は今年から通信教材で工芸工業デザインについて学ぼうと思っています。他にも英語や管理会計など勉強しないといけないことはたくさんあります。

新しいことを学ぶことは楽しいことですが、勉強って継続することが大変ですよね。モチベーションの維持が難しい・・・。 私は目に見える成果があるとモチベーションにつながります。そのため学習の成果が見えづらい語学の勉強はとても苦手です・・・。

皆さんも同じような悩みを抱いた経験はありませんか?そこで今回は学習の段階を今日は共有したいと思います。

学習には4つの成長段階あります。(イラスト1)

①無能の無自覚、②無能の自覚、③有能の自覚、④有能の無自覚、この4つです。

文字通りではあるのですが、それぞれの意味を説明すると以下のようになります。

①無能の無自覚は、わからないことを認識できない状態

②無能の自覚は、わからないことを認識できる状態

③有能の自覚は、わかっていることを認識できている状態

④有能の無自覚は、わかっていることを認識していない状態

一番苦しいのは①無能の無自覚から②の無能の自覚にステップが上がったときです。学習の段階としては成長しているのですが、無能を自覚するので成長していないように思えてしまうからです。成長の実感は感じづらいですが、成長段階としてはステップを上っている状態です。学習において「スランプだ!」とか「私やっぱりできない・・・」と思っている状態だったときに、この成長段階のことを理解していると、ちょっと安心しませんか?学習においては自分の成長過程を実感できることはモチベーションの維持に重要だと思います。 学習において成果が見えなかったり、自分がわからないことばかり見えてくるようになってしまったとき、落ち込まずに「これは成長段階の最初のステップを上っているのだ」と思うようにしましょう。私もそのように考えて学習の継続に努めます!

セールスとマーケティングの違い

セールスとマーケティングの違いについて紹介します。この違いを踏まえた上で、もしあなたが新製品や新事業を創造したときにセールスとマーケティングのどちらに注力するかを考えたいと思います。

まずはセールスとマーケティングの違いについてです。

セールスは、お客さまに製品を購入してもらうために行う販促活動のことで、

マーケティングは、製品(アイデア)がどのお客さまなら買ってくれるのか、どのように改良したら欲しいと思ってくれるのかを調査することです。

このようにセールスとマーケティングは全く別物であるためプロセスも異なります。

そのプロセスをイラストで表してみました。(イラスト1)

セールスはある特定のお客さまに対して製品を購入してもらうために製品の魅力をあらゆる角度から伝えます
あらゆる角度からどんなに魅力を伝えてもお客さまに購入してもらえなかったら、次の買ってくれそうなお客さまにアプローチをします。
イラストで言うと青い矢印が製品の魅力をアピールしているイメージです。何度アピールしても1人目のお客さまは「NO」と言っています。漸く諦め、次のお客さまへアピールをかけます。それを赤い矢印で表しています。2人目以降も同様に製品の魅力をあらゆる口説き文句でアピールし、ダメだったら次の人へアピールします。

一方マーケティングは、どのお客さまなら買ってくれるか、そしてその製品がより魅力的になるにはどうしたらよいかを調査することが目的です。そのため、イラストの様に1人目のお客さまが「NO」と行ったらすぐに別のお客さまにアプローチをかけます。そこでも「NO」と言われたらまた別の人・・・・。というように繰り返します。いろんな人にアプローチし続け、漸く「OK」と言ってくれる人を見つけます。そして、そのOKと言ってくれた人に販売するのではなく、なぜOKなのか、より魅力的にするにはどうしたらよいか、OKと言ってくれたような人はどのような特徴があるのかなどを調査します。その調査結果をもとに製品に改良したり、自然と売れる販売方法を作ることがマーケティングです。

セールスとマーケティングの違いがなんとなくイメージ出来ましたか?

それではここで冒頭の質問です!
あなたは新製品や新事業を創造したとします。あなたならセールスとマーケティングのどちらに注力しますか?

私の場合は、まずは自分が生み出した新製品や新事業はユーザーにとって全く新しい価値かどうかを確認します。
そして、これまでにない全く新しい価値を生み出したと言えるのならばマーケティングを徹底して行います。
なぜなら、あなたの新製品が提供する価値について、ユーザーはこれまで経験したことがないため、いくらセールスされても魅力を感じにくいからです。
特定のユーザーが購入してくれることにこだわってセールスを続けてしまうと、本来欲しいと思ってくれるユーザーに出会うまでの時間がかかってしまいます。先ほどのイラストで言うと、1人目のお客さまに何度もアピールする(青い矢印の数を増やすこと)時間よりも、他の可能性がありそうなユーザーを探すこと(赤い矢印の数を増やすこと)に時間を使った方が有効的だと思います。また、コンコルド現象に陥らないためにも一人の人に執着するのではなく、新製品の良さを実感してもらう人を次々と探すことに注力します。
新製品の良さを実感してもらえる人を見つけたら、魅力を感じた理由などを徹底的にヒアリング調査して製品の改良や販売方法のアイデアに繋げます。その結果、一生懸命セールスをしなくてもお客さまが欲しいと思える状態を作ることを目標にします。

みなさんだったらどのようにして新製品の販売を考えますか?

ソクラテスの弁明

◆「よく生きる」とは?

「よく生きる」とはどう生きることでしょうか。

私は今よく生きているかと聞かれるとすぐには答えられません。なぜなら、よいとは何を基準に判断できるのかわからないからです。それではよく生きるための判断基準がわかっていなければ「よく生きる」ことはできないのでしょうか。

◆本の要約

今回紹介する本は、古代ギリシアの哲学者ソクラテスについて書かれた『ソクラテスの弁明・クリトン』です。

本書は二部構成になっています。第一部の『ソクラテスの弁明』では、不敬神の罪に問われたソクラテスが法廷で死刑をも恐れず、自分の正義を主張し、貫き通す場面が描かれています。第二部の『クリトン』では、死刑を翌日に控えたソクラテスに、親友のクリトンが脱獄を説得します。しかし、ソクラテスは「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて、よく生きることだ」と主張し、自らの正義のために死刑を受け入れました。

◆揺らがない想いを貫く

私は本書を読んで、ソクラテスの下した判断は超越していて、一般の人にはなかなか真似できないことだと思いました。

ソクラテスにとっての正義とは、いかなる理由があっても不正を犯してはならないことです。ソクラテスは自らの正義のために死刑を受け入れるほど信念を貫いていました。

私にそのような判断ができるでしょうか?私にも死を受け入れられるほど絶対譲れない信念というものを持っているのか、考えてみました。

ソクラテスのように生と死を分けるような大それたものではありませんが、周囲の意見にとらわれずに判断を下した経験が一つあります。

私は4月に弊社へ入社しました。それまでは一般企業に3年間勤めており、転職を決心するにあたって、家族や恩師、先輩社員、友人に相談しました。そのとき、ほとんどの人が転職することを思い留まるように言ってくれました。収入の安定、生活の基盤、身分保障など理由は様々でしたが、どれも私のことを思って引き止めてくれました。しかし、私は転職を決心し、弊社へ入社しました。理由は、創設に携わった会社であること、創設したメンバーと一緒に働きたい、デザイン思考をもっと普及させたいと様々でした。しかし、根底にあったのは、私にしかできないことに挑戦したい、というものでした。組織化された一般企業だと入社3年目の私の替えなどたくさんいます。周囲の方からどんな理由を出されても、転職するという決心が変わらなかったのは、私にしかできないことへ挑戦したい、という強い想いがあったからだと思います。まだ入社して1ヶ月も経っていませんが、私にとって転職はよい選択だったと思います。これはソクラテスの言うよく生きるに通じるのではないかと考えます。

◆よく生きるには:自分の大切なものを知る

よく生きることとは何か、日頃の生活の中ではあまり考えることはないと思います。生活の中で自分の大切なものが何かが明確になると自分に一貫性が持て、大衆の判断に流されることなく、自分で決断することができます。

私は自分の大切なものについてまだまだ明確でない部分があるので、これを期に考えてみたいと思います。

皆さんも自分の大切なものとは何か、考えてみてはいかがでしょうか。

◆正義は一つではない

正義は一つではありません。

少し前に『HERO』という検事の仕事をテーマにしたテレビドラマが流行りました。ドラマでは主役の敏腕検事が、被告人が本当に罪を犯した犯人なのかについて調査し、真実を突き止めていきます。私はこのテレビドラマが大好きでした。その中でも特に印象に残っているセリフがあります。

「正義は一つじゃないんです。僕たち検事は悪人を絶対に許さないという正義があります。そして、弁護人には依頼主を守るという正義があります。そして、皆さん。裁判員の皆さんには、僕らの主張をよ〜く聞いてもらって、法と良心に基づいた公平な判決を下すという正義があります。みんな、それぞれの正義を信じて、それぞれの立場から被告人に光を当てることによって真実を浮かび上がらせていく。それが裁判なんです。」

このドラマで言っているように、正義は一つではありません。教師としての正義、母親としての正義、父親としての正義など、人それぞれに何かを判断する上で譲れない何かを持っているはずです。

自分の正義とは何か、日頃の生活の中であまり考えることはないと思います。自分の正義が何かが明確になると自分に一貫性が持て、大衆の判断に流されることなく、自分で決断することができます。

私の正義はまだ不明確なので、これを期に見つけたいと思います。

皆さんも自分の正義とは何か、考えてみてはいかがでしょうか。