後世への最大遺物/デンマルク国の話

◆後世への最大遺物:勇ましい高尚なる生涯

皆さんは後世にどのような物を遺しますか?

私は本書を読むまで後世に何を遺すかなど考えたこともありませんでした。そもそも、私が後世に遺せるような大層なものを成し遂げられるのでしょうか?

今回紹介するキリスト教指導者の内村鑑三著書『後世への最大遺物 デンマルク国の話』はこの疑問に答えてくれました。著者は「後世への最大遺物を勇ましい高尚なる生涯」であると述べています。

では勇ましい高尚なる生涯とは何でしょうか?

◆本の要約

本書は後世を担う学生への演説が元になっており、後世への最大遺物をテーマに、それぞれの生涯についてどう生きるか、後世に何を遺せるのかが述べられています。後世への最大遺物として、金、事業、思想と遺せるものはありますが、誰もが遺せるものではありません。誰もが遺せるものとして勇ましい高尚なる生涯を述べており、そのような生涯を遺すためには、例え少数の立場であっても己の主義を信じ、真面目に実行することが大切であると述べています。

◆「勇ましい」高尚なる生涯とは:夢の実行による他者への勇気づけ

著者の言う勇ましい高尚なる生涯とは何でしょうか?なぜ、著者は高尚なる生涯

ではなく、勇ましいとつけたのか?著者の言う勇ましさに焦点をあてて読むことにしました。

 勇ましい高尚なる生涯の例として、著者は二宮金次郎の生涯を挙げています。二宮金次郎は14歳のとき、両親を亡くし、貧乏であったため、とても残酷な伯父の元で仕事の手伝いをしながら生活をしていました。その生活の中で、二宮金次郎は本が読みたくなり、自分で稼いだお金と終日働いた後の自分の時間に本を読みました。また人が祭りなどで遊んでいるときにも、近所の沼地に田畑をこしらえ、稲を植え、米を育て、20歳のときに自立しました。

 著者はこの二宮金次郎の生涯について「この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起こってくる」と表しています。さらに著者は「邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。われわれが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。」と述べています。

つまり、勇ましい高尚なる生涯とは周囲の反対に打ち勝つほどの熱意と実行結果があり、その実行結果が他人に挑戦する勇気や希望を与えるものだと思います。

では、挑戦であればどのような挑戦でもいいのでしょうか?

 挑戦という言葉を聞くと、私は、資金や経験、知識がなく起業するようなハイリスク・ハイリターンなものをイメージしてしまいます。しかし、そのようなハイリスク・ハイリターンなものに丸腰で立ち向かうのでは、ただの無謀な取り組みです。反対に、現在の実力で簡単に達成できるようなことは挑戦とは言えません。

以前『起業家はどこで選択を誤るのか』という本を読みました。そこには、起業家の動機の変化とその要因、決断に及ぼす影響を検討する必要性について述べられていました。起業家というと、リスクを顧みずに何でも挑戦できるイメージがあるかと思いますが、それだけでは事業が潰れてしまいます。考えられるリスクを想定し、その中でどこまでのリスクだったら取れるのか、ということを常に考え行動する必要があります。

無謀ではなく、自らの努力次第で実現可能性が高められるものに挑戦することが、著者が言う勇ましい高尚なる生涯に繋がるのではないでしょうか。

そしてその挑戦に立ち向かい、真面目に実行することが大切です。ただ夢を描いているだけでなく、実行することで夢を現実にします。それが後世への勇気と希望になるのだと思います。

◆無謀すぎず、簡単すぎない。頑張れば成し遂げられることへ挑戦する。

大きな夢を描くことも重要ですが、それを現実に落とし込み、実行しなければ意味がありません。実行する過程には、周囲からの反対や大きなリスクによる恐怖など、いろんな障壁が現れます。それをどのようにして乗り越えられるのか。いくつかあるリスクの中でどのリスクなら許容できるのか。それらを考慮し、真面目に実行し、実現するのです。

私は大学生時代に共同で創業した弊社に3年ぶりに戻ってきました。これからの創造していく新事業に私自身が関われることへの期待と不安のどちらもあります。新しく取り組む上で、リスクに立ち向かう熱意、許容できるリスクを踏まえ、確実に実行していくことに集中したいと思います。そして、この実行が挑戦する人への勇気づけになれればと思います。

無謀すぎず、簡単すぎず、頑張れば成し遂げられることへの挑戦。

後世への最大遺産として、皆さんは何を遺していきたいですか?

2017文字 時間:3時間

ソクラテスの弁明

◆「よく生きる」とは?

「よく生きる」とはどう生きることでしょうか。

私は今よく生きているかと聞かれるとすぐには答えられません。なぜなら、よいとは何を基準に判断できるのかわからないからです。それではよく生きるための判断基準がわかっていなければ「よく生きる」ことはできないのでしょうか。

◆本の要約

今回紹介する本は、古代ギリシアの哲学者ソクラテスについて書かれた『ソクラテスの弁明・クリトン』です。

本書は二部構成になっています。第一部の『ソクラテスの弁明』では、不敬神の罪に問われたソクラテスが法廷で死刑をも恐れず、自分の正義を主張し、貫き通す場面が描かれています。第二部の『クリトン』では、死刑を翌日に控えたソクラテスに、親友のクリトンが脱獄を説得します。しかし、ソクラテスは「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて、よく生きることだ」と主張し、自らの正義のために死刑を受け入れました。

◆揺らがない想いを貫く

私は本書を読んで、ソクラテスの下した判断は超越していて、一般の人にはなかなか真似できないことだと思いました。

ソクラテスにとっての正義とは、いかなる理由があっても不正を犯してはならないことです。ソクラテスは自らの正義のために死刑を受け入れるほど信念を貫いていました。

私にそのような判断ができるでしょうか?私にも死を受け入れられるほど絶対譲れない信念というものを持っているのか、考えてみました。

ソクラテスのように生と死を分けるような大それたものではありませんが、周囲の意見にとらわれずに判断を下した経験が一つあります。

私は4月に弊社へ入社しました。それまでは一般企業に3年間勤めており、転職を決心するにあたって、家族や恩師、先輩社員、友人に相談しました。そのとき、ほとんどの人が転職することを思い留まるように言ってくれました。収入の安定、生活の基盤、身分保障など理由は様々でしたが、どれも私のことを思って引き止めてくれました。しかし、私は転職を決心し、弊社へ入社しました。理由は、創設に携わった会社であること、創設したメンバーと一緒に働きたい、デザイン思考をもっと普及させたいと様々でした。しかし、根底にあったのは、私にしかできないことに挑戦したい、というものでした。組織化された一般企業だと入社3年目の私の替えなどたくさんいます。周囲の方からどんな理由を出されても、転職するという決心が変わらなかったのは、私にしかできないことへ挑戦したい、という強い想いがあったからだと思います。まだ入社して1ヶ月も経っていませんが、私にとって転職はよい選択だったと思います。これはソクラテスの言うよく生きるに通じるのではないかと考えます。

◆よく生きるには:自分の大切なものを知る

よく生きることとは何か、日頃の生活の中ではあまり考えることはないと思います。生活の中で自分の大切なものが何かが明確になると自分に一貫性が持て、大衆の判断に流されることなく、自分で決断することができます。

私は自分の大切なものについてまだまだ明確でない部分があるので、これを期に考えてみたいと思います。

皆さんも自分の大切なものとは何か、考えてみてはいかがでしょうか。

◆正義は一つではない

正義は一つではありません。

少し前に『HERO』という検事の仕事をテーマにしたテレビドラマが流行りました。ドラマでは主役の敏腕検事が、被告人が本当に罪を犯した犯人なのかについて調査し、真実を突き止めていきます。私はこのテレビドラマが大好きでした。その中でも特に印象に残っているセリフがあります。

「正義は一つじゃないんです。僕たち検事は悪人を絶対に許さないという正義があります。そして、弁護人には依頼主を守るという正義があります。そして、皆さん。裁判員の皆さんには、僕らの主張をよ〜く聞いてもらって、法と良心に基づいた公平な判決を下すという正義があります。みんな、それぞれの正義を信じて、それぞれの立場から被告人に光を当てることによって真実を浮かび上がらせていく。それが裁判なんです。」

このドラマで言っているように、正義は一つではありません。教師としての正義、母親としての正義、父親としての正義など、人それぞれに何かを判断する上で譲れない何かを持っているはずです。

自分の正義とは何か、日頃の生活の中であまり考えることはないと思います。自分の正義が何かが明確になると自分に一貫性が持て、大衆の判断に流されることなく、自分で決断することができます。

私の正義はまだ不明確なので、これを期に見つけたいと思います。

皆さんも自分の正義とは何か、考えてみてはいかがでしょうか。

生の短さについて

「幸せ」とは何でしょうか?

健康に暮らせたら幸せ?

美味しいごはんが食べられたら幸せ?

仕事が成功したら幸せ?

もちろんとても大切なことで、幸せです。

◆本の要約

今回、私が読んだ本は哲学者セネカの「生の短さについて」です。本書は3部構成になっています。

第1章の「生の短さについて」では、いかに「現在」という時間が短く、流れすぎていくものなのか。そして、さらにその「現在」という時間を「欲」の追求に浪費してしまう人間が多いことを指摘しています。

第2章の「心の平静さについて」では、精神の弱さ故に精神を平静に保つ必要性が述べられています。精神を平静に保つためには、時には精神にくつろぎを与える必要があり、度が過ぎない程に開放することで、精神に活力が戻ると述べられています。

第3章の「幸福な生について」では、「幸福」な人生について、世間体は考えず、自分が求めたいものに集中することの大切さが述べられています。

◆心が苦しくなった:本書を読むほど「幸せとは何か」がわからない 

私は第1章を読んだとき、心がとても苦しくなりました。

 今までの自分の人生はどうだったか?/私は時間を浪費していたのか?/これまで幸せと感じたことは何か?/それは本当に幸せと言えるものなのか?/単なる欲なのか?/「欲」は「幸せ」とは言えないのか?/「幸せ」は定義できるのか?・・・・

様々なことが頭の中をめぐり、読み進めることが難しいほどでした。

本を読み終え、会社の同僚と「幸せとは何か」について議論を行いました。私は自分の心を少しでも楽にするために、明確な答えを見つけようとしていました。しかし、いくら議論しても、もちろん答えはでてきません。「幸せ」に関する意見はたくさんでました。それでも私は「どれが答えなんだ?」と探してしまいました。

◆心を楽にするには:他者の考えを受け入れること

そのとき、代表の柏野から「自分の意見も他者の意見も俯瞰して見て、どちらも受け入れることも大切だ。」と言われました。

答えはいくつあってもいいし、どれが正解でどれが不正解なんてわかりません。

社会科学の調査には、トライアンギュレーションという考え方があります。一つの視点ではなく、多方面から見ることで本質が見えるという考え方です。

これは人間関係にも応用できると考えます。

日頃、家族や友人、同僚との会話で自分の想定外のことをされたり、言われた場合、

「どうしてこの人はこんなことを言うのか?こんなことをするのか?」

と主観的に捉えるのではなく、相手の観点から、

「あ!そういう見方もできるのか!」と考えることもできます。

相手の意見に反発するよりも、受け入れ、認識すると客観的に考えることができ、より本質的な解が見つかるかもしれません。

そして何より心が楽になります。

◆「幸せ」とは何か?:自分に似合うもの

セネカは2,000年以上も前から「幸福な生」のためには「自分が求めたいものに集中すべきだ」と述べています。「幸せ」とは何かを具体的には示していません。

「自分が求めたいもの」つまり、第三者が決められるものではなく、自分で決めるものだと、セネカは主張しています。

例えば、私は温かいベッドでぐっすり朝まで寝られることを幸せだと感じますが、皆さんにはそんなに大事なことではないかもしれません。逆も然りで、皆さんが「幸せ」だと感じることが、私は大事ではないと感じるかもしれません。

何を「幸せ」とするかは自分で決めることができます。

私はそれぞれの自分で決めた幸せを大切にできる世の中であってほしいと思います。

皆さんもセネカを読んで自分の幸せについて考えてみませんか?