聖徳太子と憲法十七条

◆憲法十七条を覚えていますか?

みなさんは、小学校のときに習った憲法十七条を覚えていますか?

聖徳太子が作った日本最古の憲法、ということは覚えているかもしれません。では、その内容はどうでしょうか?

恥ずかしながら、私は憲法十七条の内容を全て読んだことがありませんでした。

今回紹介する本は『聖徳太子と憲法十七条』という本です。この本では、日本最初の成文憲法である憲法十七条を読み解く内容になっています。

◆憲法十七条が作られた背景:力で押さえてはいけない

憲法十七条は聖徳太子によって作られたものと言われています。聖徳太子は、27歳の頃に、新羅の国を征伐するために一万人の兵を送り込み、勝利しました。敗れた新羅国王は毎年貢物を差し出すと約束しました。しかし、聖徳太子が塀を引き上げるとまた、新羅は任那という現在の朝鮮半島の南に位置した地域にあった日本府を滅ぼしました。そのとき、聖徳太子は力で押さえてはいけない、と考え、もう一度新羅へ兵を送るのではなく、精神的な、文化的な面で、日本という国を立派にしようと、憲法十七条や冠位十二階を作りました。

聖徳太子が実在したかどうかは諸説ありますが、憲法十七条が存在したことは、日本書紀にも記されているので確かだと考えられます。誰が作ったかはさておき、当時の世の中に、憲法十七条に記載されている内容の規律を設ける必要があった、と推測できます。

◆憲法十七条の基本:以和為貴。無忤為宗。

憲法十七条の第一条は「以和為貴。無忤為宗。」から始まります。和を最も大切にし、逆らうことをしてはいけない、という意味です。そしてその後には、人間は派閥を作りたがるということや人格者が少ないという現実的なことが記載されていますが、上下の区別なく、協調すれば道理にかなうと説かれています。この第一条が憲法十七条の基礎となっています。

争いごとに対して力で押さえ込むことはよくないと考え、作られたという背景を見ても、「和」というものを大切にするよう訴えたかったのではないかと考えられます。約1400年前に書かれた憲法ではありますが、和の大切さ、争いごとをしてはいけない、助け合うことの重要性について説かれていて、現在に通ずるものがあります。

◆なぜ憲法が大切なのか?:国を治める権力者の歯止め

憲法十七条も現在の憲法と同様、国を治める役人が守るべきルールについて記載されています。現在の日本国憲法ももちろん同様です。日本国憲法の第九十九条に以下のようにしるされています。

日本国憲法 第九十九条

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

この憲法を尊重し擁護する義務を負っているのは、国民ではなく、天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員です。内容を見ても、全十一章ある内、日本国民が主語となっているのは、第二章の戦争放棄と第三章の国民の権利及び義務のみです。あとは、天皇についてや国会、内閣、司法、財政、地方自治のあり方についてや、憲法改正の規定、最高法規、補則について記載されています。

つまり、憲法の内容の殆どは天皇や摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員が守るためのルールについて記載されています。これは初めて憲法ができたときから変わっていません。憲法は、国を治める権力者が暴走しないように、国民のために決められたルールです。

近日話題になっている憲法改正については、賛否両論ありますが、改正するならば国民を守るためのものでなければなりません。

小学校のときに習ったたった十七条しかない憲法ですが、国を治めるために必要な要素が凝縮されていると思います。今一度、本書をもって日本最古の憲法を理解し、現在の憲法、これからの憲法について考えてみたいと思います。

愛するということ

◆愛は学ぶものか?:愛は技術である

 みなさんは愛について学んだことがありますか?

生まれたとき家族から無償の愛を受け育てられ、思春期になれば映画や音楽から愛とは何かをなんとなく理解し、誰かを好きになったりします。そして、愛する人と結婚します。このように私たちは、愛について学校などで教わるのではなく、経験の中からなんとなく愛についてを理解していると思います。

そもそも私は、愛が教わるものであるということなど考えたことがありませんでした。これから紹介する本は、愛について教えてくれる本です。

◆本書について

 今回紹介する本は1956年に著され、60年もの間世界中で読まれ続けられている『愛するということ』という本です。本書は精神分析学に社会的視点をもらたらしたエーリッヒ・フロムによって著されました。本書は4部構成になっており、愛は技術であるという前提に、1)愛の理論、2)愛の種類、3)愛の崩壊、4)愛の習練について述べられています。

◆愛するとは?:自分自身の愛に信念を持つこと

 本書の冒頭で衝撃的なことに、著者は「愛は技術である」と断言しています。そのため、大工仕事や医学、工学などの技術を学ぶときと同じように、知識と努力で養わなければならないと著者は述べています。さらに、愛とは能動的なものであり、愛の基本的要素は、他者への配慮、責任、尊敬、そして知が必要であることも述べられています。例えば、知の例として、他者のことを理解していなければ、他者への配慮や責任が検討違いのものになります。また、他者を知らなければ尊敬もできません。さらに、愛を習練するためには自分自身の愛に対する信念が必要だとも著者は主張しています。自分自身の愛に対する信念があって初めて、相手の中に愛を生むことができると信じられるのです。

◆愛に関するケーススタディー:ウォルト・ディズニーのリトルマーメイド

 先日、ウォルト・ディズニーのリトルマーメイドをミュージカルで観ました。この物語はまさに愛について教えてくれるストーリーになっています。

 主人公の人魚姫アリエルは、人間が作ったフォークやカップなどを集めることが好きで、人間に大変興味を抱いています。しかし、アリエルは海の王様である父トリトンから「人間は悪い生き物だから近づいてはならない」と教えられてきました。アリエルは父トリトンには内緒で人間の作った物や人間の様子を自分の目で確かめます。そして人間が悪い人ばかりではないと強く信じます。

ある日、アリエルは航海中の船に乗っていた人間のエリック王子に恋をします。そのとき、その船は目の前で嵐に襲われました。アリエルは、海に落ちて溺れてしまったエリック王子を必死に助け、砂浜まで運びました。そして、歌を唄いながら介抱し、エリック王子が目覚める前に海に帰りました。エリック王子は自分を助けてくれた美しい歌声を持つ女性に惹かれ、必ずその声の持ち主を見つけようと決心します。

海へ戻ったアリエルは、父トリトンからの反対を押し切り、魔女の元へ行き、自分の声と引き換えに3日間だけ人間の足を授かります。そして、3日目の日没までにエリック王子からキスをされなければ、アリエルの魂は魔女のものになる契約を交わします。アリエルは声を失い、言葉でのコミュニケーションがとれないながらも、エリック王子を見つけ、愛し、3日間だけ恋をします。しかし、アリエルは声がでないため、エリック王子は自分が惹かれていた声の持ち主がアリエルだということがわかりません。それでも、王子はなぜかアリエルに惹かれていきますが、キスまで至りません。そのまま時間が経ち3日目の日没が訪れ、アリエルは魔女に魂を奪われてしまいます。愛する娘を奪われた父トリトンは、自分の王国である海と引き換えにアリエルを返してもらうように契約をしようとします。そのとき、アリエルは勇敢にも魔女に立ち向かい、魔女の魂を壊します。そして、無事にアリエルと父トリトンは救われ、アリエルは父トリトンから人間になることを許してもらい、エリック王子のもとへ戻り、幸せな結婚をしました。

 この物語は、まさに本書で言う、愛の基本的要素(他者への配慮、責任、尊敬、知)と愛を達する基本条件(客観性、自分への信念)がすべて揃ったものだと思いました。アリエルは人間が悪い人ばかりではないという信念のもと、人間を理解しようと努め、人間が作る素晴らしい道具を見て、人間のことを尊敬します。そして人間であるエリック王子に恋をし、彼への配慮から彼の命を助けることができました。さらにアリエルはエリック王子を愛する余り、大切な声と引き換えに人間の足を手に入れ、その行動に責任を持っています。アリエルは、唯一のコミュニケーションツールであった声を失っても、エリック王子を愛せると信じることができたからこそ、エリック王子からも愛されることができたのだと思います。そして、初めはアリエルの言動に理解を一切示さなかった父トリトンも、アリエルの信念を信じ、アリエルが人間になること、そして人間と結婚することを許しました。

アリエルはまさに、自分自身の経験や、思考力・観察力・判断力に対する自身に根ざしている信念を貫き、他者を愛することができました。その結果、他者からも愛されることができたのです。

◆愛するために必要なこと:規律、集中、忍耐の習練

 愛するには、自分自身に信念を持たなければなりません。そして信念を持つには、習練が必要です。自分自身に信念を持つには、規律、集中、忍耐、この3つを鍛える必要があると著者は言っています。

規律とは、自分の目標のために自分の意思で自分に課す規律のことであり、行うことが楽しく思え、やめると物足りなくなるように感じることを指します。

集中とは、一人でじっとしていられるようになることで、そうすることで何かを行うときにそのことやものに対して心をこめることができます。

3つ目の忍耐とは、技術をマスターするためには時間がかかるということです。体得するまで忍耐強く習練し続けることが大切だと著者は述べています。これらの習練の結果、自分自身の愛に信念を持つことができ、その結果、他者からも愛されることができるということです。

 愛するということは上辺だけのものではありません。まず、自らを愛し、信念を持つことで他者を愛することができます。そして、それは特定の相手だけではなく、全ての人々をも等しく愛することが真の愛なのです。まるで神様のようですが、もし全ての人を等しく愛そうと努めれば、ちょっとした日々の対人関係によるストレスも軽減されるのではないでしょうか。

簡単にはできないかもしれませんが、愛は技術であるという著者の言葉を信じて、規律、集中そして忍耐の習練で養っていきたいと思います。

みなさんも日頃、対人関係でストレスを感じていたり、家族や恋人への愛について悩んでいるときはこの本を手にとって、愛について考えてみると答えが見つかるかもしれません。

毒になる親

◆親と子の関係性:子と親の成長バランス

親と子の関係性は多くの場合一生続くものです。その関係性の中で子どもは成長し、大人になっていきます。2歳ごろには自我が発達し親に反抗し始めます。そして、小学生、中学生、高校生と成長するにつれて、子どもが一人の人間として成長していきます。その成長過程に伴って、親も成長し、子をいつまでも子ども扱いするのではなく、一人の人間として対応しなけらなくなります。このバランスがとても難しく思えます。

◆要約

本書は数千人の患者を診てきたカウンセラーによって著された『毒になる親』という本です。著者は患者の多くが、過去に親との関係性に問題を持っていたことに気づき、そのような人に自分の人生を取り戻してもらうための解決策を提示しています。

内容は二部構成になっており、前半は「毒になる親」とはどのような親なのか、以下の7種類に分類されています。

「神様のような親」「義務を果たさない親」「コントロールばかりする親」「アルコール中毒の親」「残酷な言葉で傷つける親」「暴力を振るう親」「性的な行為をする親」

そして、なぜ親がこのような行動をとってしまうのかについてまとめられています。

後半は「毒になる親」に支配されてきた子供が、人生を取り戻すための解決策を提示しています。これまで押さえ込んできた怒りや悲しみの感情に正面から向き合い、ありのままを飽くまでも冷静に、毒であった親に伝え、理解し合うことが推奨されています。

◆「親にとってはいつまでも子ども」でいいのか?:子の成長に合わせて親も成長すべき

本書では、暴力など肉体的な虐待よりも精神的な虐待に注目しています。精神的な虐待については表面には現れづらく、虐待と躾、保護の境界が曖昧です。そのため、親子ともども毒になる状況を認識できていない可能性があります。

例えば、子どもをコントロールすることについては、行き過ぎるコントロールと躾の範囲は曖昧です。もちろん、親として子どもの安全を守るために子どもの行動を把握すると思います。しかし、善悪の判断はもちろん、金銭的な判断もでき、ましては成人した20歳の子に、5歳の子どもと同様の把握方法でいいのでしょうか?

「今日はどこで誰と何をしていたの?」「このお金は何に使ったの?」「いつの間にこんなもの買ったの?」

これは親が子とともに成長しきれなかった表れだと思います。親としては単純に気になるから聞いている問いかけや、癖になっている問いかけもあるでしょう。しかし、子にとっては自分が信用されていない、自分の判断はどこか間違っているのかもしれない、と思ってしまいます。

そのため、いつまでたっても自分で判断が下せなくなります。そして親としてもいつまでも子が気になってしまいます。よく聞く言葉ですが「いつまでも子どもで手がかかって困る」というのは、親としてもいつまでも子扱いしているのです。世話をしすぎることで相手の判断力を奪っているのです。そして、親子ともどもその状況に気づいていないのでしょう。

では、気づくためにはどうしたらいいのでしょうか?

本書では恐れず面と向かって親と子で対決せよと述べられています。過去の親のあり方から子どもがどのように傷ついたのか、正直に話すのです。それにより、親が傷つくかもしれません。それを承知で理解し合えることを望んで対決します。もしかしたら、理解してもらえないかもしれません。もっと悪い関係になってしまうかもしれません。しかし、それでも子にとっては心が軽くなります。これは子から親への対決だけでなく、親から子へ持ちかけてもいいかもしれません。対決をすることで崩れていた親子の関係のバランスを整います。

◆他者と自分のバランス:自他ともに尊重する

関係性の問題は、親子関係だけでなく、兄弟、恋人、友人などの深い間柄には起こりうる依存の問題だと思います。

心理学で依存には「共依存」と「相互依存」の2種類があると言われています。

共依存とは、他者に必要とされることで自分の存在意義を見出すことを差し、自他の境界が曖昧になっています。一方、相互依存とは互いの違いを理解し、依存も自立も自由にできる状態で相手とは対等な関係です。自他の境界は明確です。

相互の関係性が深まるにつれて、相手との心理的距離のバランスを取らなければなりません。それは親子に限らず、兄弟、恋人、友人なども当てはまります。

近年増加しているいじめの問題やDV問題なども、相互の心理的関係性が深く関わっているのではないかと思います。

よい人間関係を築くために、相互を尊重し、自他の境界線を考えるきっかけに本書を読んでみてはいかがでしょうか。

美学への招待

◆あなたは直感を信じますか?

私は自分の直感を信じることに抵抗があります。理由は直感というものは曖昧だからです。明確な根拠がないため、頼れるものではないと思っていました。そして、だれもが直感というものをあまり信じていないものだと思っていました。しかし、最近、私の周囲には直感を大切にする人がたくさんいることに気がつきました。彼ら曰く、直感を信じた方が上手く行くケースが多いとのことでした。

◆本書の概要

今回ご紹介する本は、学問としての美学を著した『美学への招待』です。本書は、18世紀中葉にヨーロッパで確立した、美と藝術と感性を論ずる哲学のうちの、主に藝術に焦点を当てています。美学とは何かという導入から始まり、ポスターなどの複製の藝術、身体と藝術との関わり、古典的な藝術と現代的藝術の違いについて述べられています。また、時代とともに藝術が人間中心主義に変化していった経緯や近未来の美学として、人間を超える美学=自然の美について述べられています。

◆直感はどこからくるのか:過去の経験や記憶、知識の総合

私が本書の中で最も印象に残ったことは、「感ずる」ということが曖昧なものではなく、「極めて高次の浸透力をもった精神の働き」であることです。感性には直接性、反応・判断、総合性という3つの特徴があります。3つ目の総合性とは「いくつもの事実をもとにして、それらを暗黙裡に総合し、即刻判断している」ことを指します。総合性は、判断までのスピードが速いため、捉えられず曖昧なものと感じられます。しかし、その曖昧に思われがちな感性は、過去の経験や記憶、知識などの様々な要素が統合し、瞬時に判断された結果なのです。

私はこの概念を知ることで、直感というものも感性と同様に過去の経験や記憶、知識などにより判断されているものではないかと思いました。これまでの経験上、直感に従って行動したことが良い結果になったり、いろいろと考え、判断材料を用意した挙げ句、直感と同じ判断をすることがありました。このような判断はただの偶然ではなく、実は私の脳の中で、これまでの経験や記憶、知識などに基づいた極めて合理的な判断できていたのだと思います。

「ピンときた!」という経験は誰しもお持ちではないでしょうか。感性の3つ目の特徴(総合性)は捉えきれないほどのスピードで判断されるものなので、「ピンとくる」と表現されるのでしょう。このように瞬時に下される判断なので、無意識のうちにやっているものもあると思います。瞬時に下している自分の判断に意識を向けることで、自分の感性について理解が深まるかもしれません。

◆直感を信じること:自分を信じること

これまでの経験や記憶、知識といった要素から統合された感性は、いわば自分自身です。つまり、感性からなる直感を信じるとは、自分自身を信じることだと思います。

18世紀中葉にヨーロッパで美学が「美と藝術と感性を論ずる哲学」と表現されたように、これら3つはとても密接に関係しています。本書では藝術を中心に、時代風潮や身体によって捉え方や表現の仕方において影響をうけた美学について述べられているため、美、藝術、感性の関係性がイメージしやすい構成になっています。藝術や美学と言われると敷居が高く思われがちですが、感覚、感性、直感といった日頃「なんとなく」と感じているものを美学への入り口として、本書を読んでみてはいかがでしょうか。